セラピストにいなさんのローリング日記

施術歴25年の施術師がローリング療法で免疫力アップの臨床例紹介

男の子と女の子

性格、性とはいかがなものだろうか?

「男らしく」とか「女らしく」とか「らしさ」というのは、医学的に解明されていることもたくさんありますが、ざっくりと大きく分けたらこんな行動は男性に多い。女性に多いというだけなのではとも思う。

 

それが「和をもって尊し」の日本ではコミュニティを構築するための生きる術になっていったように思える。「らしさ」が「男」性、「女」性の社会的役割を果たして今の日本がある。昔の出生率が高いのも当たり前のこと。娯楽の少ない時代「セックス」は娯楽の一つだ。 なんだかかんだでパートナーがいるのであれば出生率はあがる。

 

これは昭和の前半までのお話である。高度成長を遂げた後半からはがらりと生活も考え方も変わったのである。その時代の私たちの考えがそうだ。

出生率をあげるために一昔前のやり方をもう一度と考えている政治家さんたちにはカビのはえた考えだと言いたい。

 

少数派は煙たがられるものだ。この日本では。ん?日本だけでは無いようだ。この問題は世界中の「あるある」である 。

この「あるある」は命にかかわる悲劇を引き起こすこともある。発展途上の文化圏では日常茶飯事的に命が消えても殺人犯は裁かれない。今の日本では信じられないが20世紀はじめまでの日本でも同じであった。

認識が変わってきた今も窮屈に生活しているひともおられるであろう。

 

もう性別とは血液型と同じ感覚でいいのではないかとも思う「A型さんはこんなタイプ」みたいに。

 

筋力の少ない女性でもカバーできるロボットを作ることができる。出産にしても男女どちらが産むか選べる医学の技術も発達するだろう。ただ、倫理の問題だ。

 

今だに倫理は古い古い考えのもとにある。現代にそぐわない生活のなかでのルールを現代にあわせるのは難しいと思う。

 

倫理とは現代の文化、科学、技術、統計などあらゆるもので未来を見て「ホモ・サピエンス」の未来が明るくなるように世界の頭脳が考えてくれたらいい。そう考えると生殖も死も自由に操るようになれば「ホモ・ゼウス」にヒトは進化するのだろうか

 

男の子は自転車を一年たたずにして廃車にし、買ったばかりの自転車をさっそくパンクしてきてくれた。

女の子は同じ自転車をもう4年乗っている。

タイヤの交換を1回しただけ。

 

性別を「個性」にして少しは「もっと丁寧に扱え」と叱るが彼らの成長をあたたかく見守る。私に出きるのはこんなことくらいだ。