モノは言い様
最近はなにかと「白黒」着けたがる考えが多いようにおもう。マスコミもそうだか、特にSNSはその特色が強いから若者など情報を読み取る力がなければあまり多用しない方がいいだろう。
「敵」か「味方」か
「正義」か「悪」か
どっちからでも見れるんだよ
「昨日の敵は今日の友」なんて言葉もある
日本人って「曖昧」が持ち味なのに。
物事をハッキリと発言することは大切だろう。何でも「イエス」だった日本人は「イエスマン」と国際社会では失笑されていた時代があったから「自己主張ができる」教育が注目された。しかしどこからか「自己主張」は「わがまま」に変わってしまった。
そこには、「ゆとり」と「一人っ子」お金持ちの「ジジババ」「オジオバ」が加わり
中国に負けず劣らずの「王子様」「お姫様」に育った環境がある。大人を軽視するのは幼い頃から子どもの一声でたくさんの大人が動き、大人が子どものご機嫌とりをするからだ。ここでさらに厄介なのは大人がそれに気づいていない事。子に良かれと思ってやっていると言うことだ。
「自分にあった会社がない」
かっこよく聞こえるが
「あなたが社会にあってない」
のだ
誰だって社会に出れば嫌なことも辛いこともたくさんある。この「嫌なこと」「辛いこと」を自分で乗り越えられず逃げただけ。
「自分にあった会社がない」は「負け犬の遠吠え」の発言と私は思う。
逃げることも一つの方法だけど逃げてばかりでは人生面白くない。逃げてばかりではいきるために必要な「お金」はなかなか手に入らない。乗り越える方法を見つけなければ!
本来目指すべき「自己主張のできる人間」の着地地点は大きくずれてしまった。
「曖昧」が持ち味なのは島国で生きていくためには「妥協」「すり合わせ」をして集団の意思決定をしてきたからだ。死を覚悟して海に出たものは運良く新天地についたとき何を思うだろう。
「皆違ってみんないい」
コミュニケーションが多様化している今「聴く耳」を持つことが大切だと思う。
思春期の我が子につたえる
義務と権利、責任と自由、公平と平等
これらを考えて行動するとき相手の話を良く聴かないといい考えは出てこないと言うことを。
白黒つけたがる世代だから白の立場ならどう考える?黒の立場ならどう考えると様々な立場から考えることをいつも提案する。
そうすれば自然と「すり合わせ」た答が浮かんでくる。
「総合的に見る目」を養うことはどんなに嫌なことも辛いことも乗り越える道を探すことが出きるのだ。それだけでないビジネスチャンスだって見つけられる。
そんな力を養える場所が実はSNSかも知れない。
「なぜこの人はこんな発言をするのだろう」
見知らぬコメントから社会を読み取るのはなかなかの「時の過ごし方」である。